健全な法治国家のために声をあげる市民の会

「人質司法」問題

2026年1月13日、私たちは、大川原化工機事件において、相嶋静夫氏の進行がんを把握しながら、執拗に勾留を維持し、適切な医療を受ける権利を奪い続けた検察官、および保釈却下の判断を繰り返した裁判官を、刑法194条特別公務員職権濫用罪、195条特別公務員暴行陵虐罪、196条公務員職権濫用致死罪の容疑で刑事告発しました。

1. なぜ「個人責任」を問うのか

本事件において、国と東京都の賠償責任はすでに認められました。しかし、組織の影に隠れ、血の通った一人の人間として「NO」と言えたはずの検察官・裁判官の責任は、未だに一切問われていません。

客観的な証拠が皆無であったこの事件において、捜査機関が唯一頼みにしたのは「自白」でした。自白を得るために、無実を訴える高齢の被疑者を拘置所に閉じ込め、精神的・肉体的に追い詰める。この「人質司法」という名の暴力が、相嶋さんの命を奪ったのです。

2. 「未必の故意」による殺人に等しい行為

相嶋さんの病状は深刻なもので、一刻も早い精密検査と治療が必要であることは、弁護団から提出された医師の診断書によって、検察官も裁判官も容易かつ明確に認識できていたはずです。
しかも、捜査の過程で、役職員や関係者宅を含む一斉の家宅捜索が行われ、大量の書類や資料が押収され、さらに、社長や幹部だけでなく従業員や関係者に対して何百回にも及ぶ事情聴取・取り調べが行われているにもかかわらず、客観証拠も無かった。
それなのに、「証拠隠滅の恐れ」という抽象的な決り文句で、死に至る可能性を予見しながら勾留を継続したわけです。これはもう、司法の皮を被った「未必の故意」による生命の軽視に他なりません。司法が守るべき「法の支配」とは、国家が国民を死に追いやるための免罪符ではないはずです。

3. 日本の刑事司法への警告

この告発は、亡くなった相嶋さんとそのご遺族の無念を晴らすためというものではありません。 「上が決めたことだから」「慣例だから」と、無自覚に、人間の叫びに耳を塞ぐ司法官たちへの警告です。客観証拠なき立件を強行し、自白を迫るために勾留を利用する。こうした「冤罪の温床」を放置することは、私たち市民全員がいつか同じ恐怖に直面することを意味します。
 検察官や裁判官も、一人の人間です。相嶋さんが拘置所でどれほどの痛みと孤独の中にいたか。その想像力を放棄した者に、人の運命を裁く資格はありません。 私たちは本告発を通じて、司法の現場に「人間としての倫理」を取り戻すことを強く求めます。

4. 「相嶋氏の悲劇」を教訓としない司法の怠慢

さらに、私たちは相嶋氏の事件とあわせ、東京五輪汚職事件において角川歴彦氏の長期勾留を強行した検察官・裁判官に対しても、同様に、刑法193条公務員職権濫用罪、刑法194条特別公務員職権濫用罪、195条特別公務員暴行陵虐罪、196条公務員職権濫用致傷罪の容疑で刑事告発いたしました。

先に述べました相嶋さんの悲劇からわずか1年後。司法当局は、心臓手術を控え、重い持病を抱える当時79歳の角川氏に対し、再び、「人質司法」の牙を剥いています。 これはもはや「個別の判断ミス」とはいえません。相嶋さんの死から何も学ばず、同じ過ちを確信犯的に繰り返した。この「司法の不作為」と「人命軽視の継続」こそが、私たちが今回、同時に告発に踏み切った最大の理由です。

5. 「自白か、命か」という二択

角川氏のケースでも、検察が狙ったのは「自白」にほかなりません。無実を訴え、否認を続ける高齢者に対し、心臓の病という身体的弱みを知りつつ、226日間もの長期にわたって拘禁し続けた。 「認めれば出してやる、認めなければ死ぬまで閉じ込める」 こんなものは国家による「拷問」です。角川氏は奇跡的に生還されましたが、一歩間違えれば、相嶋氏に続く二人目の犠牲者になっていたことは疑いようがありません。

6. 「確信犯」としての検察官・裁判官の責任

相嶋さんの事件が社会問題化していた以上、当時の検察官も裁判官も、長期勾留が持病のある高齢者にどのような致命的結果をもたらすか、容易に理解できたはずです。 知っていながら、同じことをやっている。これは司法の暴走を止めるべきチェック機能が完全に崩壊しているということです。私たちは、このような「確信犯的」な職権濫用を見過ごすことはできません。

相嶋さんを死に追いやり、角川氏を死の淵に立たせた。この連鎖をここで断ち切らなければ、これからも何度でも続くでしょう。 「生還したから良い」のではない。死に至る危険を顧みず、自白を迫る道具として「人の命」を弄ぶ、その判断そのものが犯罪です。

7.「人質司法」の存在について

なお、「法務省は、我が国に『人質司法』などというものは存在しない、と繰り返し主張してきました。ならば、我々は問いかけます。

もし、組織的な慣習や暗黙の強制(=人質司法)が存在しないというのであれば、相嶋氏を死に追いやり、角川氏の命を危険にさらしたあの異常な長期勾留の判断は、組織のせいではなく、その場にいた個々の検察官と裁判官が、個人の明確な意思と責任において下した『独立した判断』であったということになります。
つまり、『制度や慣習』が存在しない以上、それは純粋に『個人の責任』です。

『人質司法はない』という法務省の公式見解を信じるならば、検察官や裁判官らは自らの良心に基づき、自らの名前で、あえて『病人の救済よりも自白の追求』を選んだことになります。
したがって、我々は、その『個人の選択』によって引き起こされた拷問レベルの暴行陵虐、果ては致死傷という結果に対し、個別の刑事責任を問うことができるし、また、そうするべきということになります。

もしこれが『個人の責任』を問えないというのであれば、法務省は『日本には組織的な人質司法と呼ばれるものが存在し、個人の力では抗いきれない構造悪がある』と認め、その問題に前向きに対処するべきでしょう。

私たちは、特定の個人を攻撃したいわけではありません。しかし、脊髄反射のように保釈請求にはとりあえず反対の意見書を書く検察官、そんな検察官に迎合して保釈を却下し続ける裁判官らは、その責任の重さを自覚するべきです。匿名性の影に隠れて、生身の人間の命を弄ぶべきではありません。

本日提出した告発状には、判断に関わったすべての検察官・裁判官の実名を記載しています。そして、公開されます。これは嫌がらせではありません。この方たちに、自らの判断とハンコの重さを再認識してもらうためです。

そして、今後、同様の判断を迫られるすべての司法官に伝えたい。これからもこのようなことが続くのか、続けて良いのか。検察官と裁判官の個人責任を問う今回の告発が、それを考えていただく一助にもなればと思います。

なお、相嶋氏と同じ症状の進行がんにより、本告発と記者会見に参加する予定でありながら、体調不良により不参加となった当会理事から、コメントが出ており、記者会見で読み上げたものがあります。そちらもぜひ、ご一読ください

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