なぜ、前田検事を告発するのか?
単に罪名の違いと、彼個人に課せられる量刑が若干重くなるだけではないのか、なぜそれが、検察全体の捜査の見直しにつながるのでしょうか。
まず、重要なのは、前田検事がフロッピーディスク(以下FD)を改竄したことには、重要な2つの問題があるということです。
それは、本来、村木さんの無実を証明する証拠であったFDを、改竄によって有罪の証拠にしようとしたという点です。つまりこれは、(1)無罪の証拠を隠滅し、(2)有罪の証拠をでっち上げた、ということで二重に裁かれるべき行為といえます。
では、何故このような行為に及んだか。
それは、前田検事が村木さんが無実であることを「知っていたから」にほかなりません。
最高検では、「FDを改竄した時点では、村木さんが無実であるという確証がなく、他の証拠で有罪を立証できると考えていた」という理屈にならない理屈で、前田検事が、意図的に冤罪をでっち上げようとしていたことを否定し、それをもって、証拠隠滅罪という罪で起訴したわけですが、この論理が矛盾していることは明らかです。村木さんが無実であるという確証がないならば、FDを改竄する動機がないからです。
さて、ここで問題の証拠隠滅罪(刑法104条)を見てみましょう。
(証拠隠滅等)
第104条 他人の刑事事件に関する証拠を隠滅し、偽造し、若しくは変造し、又は偽造若しくは変造の証拠を使用した者は、2年以下の懲役又は20万円以下の罰金に処する。
確かに、ここだけを読むと、前田検事のやったことに該当しているではないか、と思われるかもしれません。しかし、この条文はその前後を読む必要があります。前後はこうなっています。
第7章 犯人蔵匿及び証拠隠滅の罪
(犯人蔵匿等)
第103条 罰金以上の刑に当たる罪を犯した者又は拘禁中に逃走した者を蔵匿し、又は隠避させた者は、2年以下の懲役又は20万円以下の罰金に処する。
(証拠隠滅等)
第104条 他人の刑事事件に関する証拠を隠滅し、偽造し、若しくは変造し、又は偽造若しくは変造の証拠を使用した者は、2年以下の懲役又は20万円以下の罰金に処する。
(親族による犯罪に関する特例)
第105条 前2条の罪については、犯人又は逃走した者の親族がこれらの者の利益のために犯したときは、その刑を免除することができる。
これでおわかりでしょう。
つまり、この一連の条文は明らかに「犯人自身、または、犯人の味方をする立場の者が、犯人の罪を軽くするために犯した罪」を裁く法律なのです。だからこそ、犯人自身や親族の刑は免除されるのですし、それゆえの軽い刑なのです。
ですから、前田検事が「何らかの理由で、(実は有罪である)村木さんの罪を軽くする(あるいは無実にする)ために、証拠を改竄した」のであれば、この罪が適用されるのは、まったく妥当と考えられます。
しかし、彼がやったのはその逆で、比較にならないほど悪意に満ちた残忍なことでした。
あえて繰り返すなら、彼は、「無実の証拠を改竄して、有罪の証拠に変えた」のです。
そして、うっかりと正確な日付の報告書の存在を見落としていたため、そこまでのことをやっても、村木さんを有罪に陥れることができなかった、というのが、事件の本質です。
しかし、結果的に、村木さんを有罪に陥れることができなかったからといって、彼の行為の悪質さが消えたわけではありません。
このFDを「証拠」のひとつとして、村木さんは、164日もの不当な拘束と過酷な取り調べを受けたからです。
そしてまた、改竄の動機も不明です。証人自身が「事実ではない自白を強要された」と供述を翻しているような証言内容を本気で信じ、村木さんは有罪だと本気で思っていて、かつ、その他の(具体的には何も存在していない)証拠がいずれ見つかるだろうから、有罪にする自信はあったが、フロッピーの存在がばれて公判で揉めるといやだから改竄した、などという理屈が通らないのは明らかです。
では、この罪は、どう扱われるべきか。ここで浮かび上がるのが、「特別公務員職権濫用罪」です。
(特別公務員職権濫用)
第194条 裁判、検察若しくは警察の職務を行う者又はこれらの職務を補助する者がその職権を濫用して、人を逮捕し、又は監禁したときは、6月以上10年以下の懲役又は禁錮に処する。
この条文を読めば、「FDを改竄した時点では、村木さんが無実であるという確証がなかった」などということが逮捕の理由にならなければ、この罪を適用しない理由にならないことも明らかです。
そもそも、「無罪であるという確証がない」というだけの理由で逮捕などされてはたまったものではありません。「被疑者が罪を犯したことを疑うに足りる相当な理由があるとき」に逮捕できるにすぎないのです。(刑訴法199条)
では、その「疑うに足りる相当な理由」とはなんだったのでしょうか?
さて、これだけ、前田元検事を「証拠隠滅」で起訴するのが非常に不自然なことであるにもかかわらず、最高検が、あえて、この微罪で裁くとしたら、これは、組織内論理に基づく「擬似処分」ですまそうとすることだと思われます。この微罪は、外向きには法的処罰に見えますが、組織的には解雇した上での二重の懲戒処分でしかないでしょう。
さらに言うと、この事件が最高検までの決裁を通っているということは、前田検事が単独で暴走したというより、上からの指示で動いていたことを示しています。だとすれば、上からの命令で村木さんを有罪にするべく奔走した前田検事が、どうしても有罪の証拠を見つけることができなかったからこそ、公判維持の障害になる証拠を消したと考える方が道理に合っていますし、「村木さん逮捕への流れは決裁に従ったものだから、そこで前田検事の罪を問うのは無理がある。ただし、証拠の改竄をやれとまでは命じられていないのに、そこまでのことをやった」という視点で見れば、それこそが最高検が前田検事を、特別公務員職権濫用ではなく、証拠隠滅罪でしか起訴できない理由、すなわち、検察側と前田検事との取引の落としどころになり得る、もっとも合理的な回答となります。まさに、トカゲの尻尾切りの論理です。
すなわち、前田元検事に証拠隠滅罪を適用することは、法そのものの存在意義に対する、いわば法治国家であることを放棄した行為、民主主義の根幹を破壊する行為です。
また、組織的国家犯罪を、同じ検察組織がさらに隠蔽し、追認することでもあり、上級責任者への責任追及を阻止することを目的にしていると見なさざるを得ません。
同時に、証拠に基づいて法の下の平等原則で裁かないということは、検察組織を超法規的な閉鎖独立機関として憲法の埒外に置くということにつながり、それは憲法違反の可能性すらあると思います。
また、過去の多くの冤罪事件においても、検察側や警察側の証拠の隠蔽や改竄の疑惑が取り沙汰されているものが多い中、それらの行為を行った検察官や警察官が罪に問われたこともない、という事実が、検察のやりたい放題を助長しているという悲しい現実に鑑みても、罪を犯した検察官が、その罪をきちんと問われることは、捜査の可視化は言うに及ばず、過去の冤罪事件の見直しや、今後の冤罪の防止へとつながるものと思われます。
だからこそ、検察の犯罪に光を当て、検察組織の正常化を求めるのであれば、まず、その第一歩は、前田元検事に「特別公務員職権濫用」を適用することでなくてはならないと、私たちは考えるのです。
2010年12月8日、郷原信郎弁護士記者レクにおいて、フロッピー改竄が村木さん裁判(正確には上村被告の裁判弁護)にどういう影響を与えたかという、重要な話が出てきます。9分20秒あたりから、前田検事のフロッピー改竄の真相が明らかに。